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小山さんのテンポ:自然の極致から絶対的価値へ
とさま
■音楽でいちばん大事なことは?
【もっとも必要で、もっともむずかしいこと、音楽でいちばん大事なこと、つまり(それは)テンポを身につけること・・・】

この言葉は、モーツアルトが父親レオポルトに宛てた手紙の中に登場します(「モーツアルトの手紙(上)」その生涯のロマン 柴田治三郎編訳(岩波文庫)p.75より)。

 音楽は、メロディー、ハーモニー、リズムの3要素で成り立つと言われます。これらの3要素は、音楽の全体の流れを決めるテンポによって、同じメロディーでもリズムであっても印象は大きく変わります。モーツアルトの言葉を待つまでもなく、テンポの設定は極めて重要ですね。

■違和感皆無の小山さんの演奏
 小山さんの演奏には全く【違和感がない】(土の器さんNo.4789)ですね。 自然の極致と言ってもいいでしょう。恣意性が皆無、瑞々しい音楽が今産まれたばかりのように、新鮮に躍動します。音楽を聴く歓び・・・そこに極まります。それは、小山さんが、音楽の3要素を最高のレベルで活かす最良のテンポを設定されているからなのではないでしょうか。

■最良のテンポの例
 有名曲では【常識的なテンポ】があるみたいです。我儘な聴き手である私は、ときに【常識的なテンポ】に【違和感】を拭えず、理想の演奏(テンポ)を求めて、旅をすることがあります。そして、いつも小山さんが理想の演奏(テンポ)をお示し下さるのです。2つの例についてお話させて下さい(私見です)。

(1)バッハ:ゴルトベルク変奏曲の第25変奏のテンポ
 アダージョと表記されているからでしょうか、多くのピアニストが遅めのテンポを設定します。有名なグレン・グールドはデビュー盤で ♩=約16、 これに対し、小山さんは、CDで ♩=約30。演奏時間で比較すると、小山さんが6分30秒で演奏なされば、グールドは12分かかる勘定になります。( どちらが優れているかということでは、もちろんありませんが 、もはや別の曲に聴こえます。)

小山さんは、実演では更に速いテンポを設定されたこともありましたが、速過ぎると感じた人はいないのではないでしょうか。バッハが工夫を凝らした(音価の異なる)多彩な音符のセットが造る絶美の音楽の流れ・・・ 《小山さんの速目のテンポがあって初めて曲の真の美しさを心底味わうことができる》のだと確信したのです。

天才グールドに始まってやはりグールドに終わるのではなく、小山さんはゴルトベルクの演奏史を塗り替えられました。第25変奏のテンポはその象徴です。未来の扉を開けたという点で、CDや各地での小山さんのゴルトベルク演奏には計り知れない価値があります。新しい歴史の始まり・・・居合わせる私達は震えるような感動で充たされるのです。

(2)ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番の第2楽章アリエッタ(主題)のテンポ
 Adagio molto semplice e cantabile (ゆっくりとしたテンポで、非常に単純にそして歌うように)という指示の影響でしょうか、多くのピアニストが遅めのテンポを設定します。最も遅いのがウゴルスキ―の♪.=24、平均的には♪.=38に対し、小山さんは♪.=48〜52と速目のテンポを設定されます。 

ベートーヴェンは続く第1変奏から第3変奏まで、(恐らく)テンポの不変を望み、その代わりに音符を細分化することで、聴感上テンポが速くなるように作曲しています(Beethovenの大好きなやり方です)。すると、主題を遅く設定して、テンポを不変に保つと、細分化による高揚の効果が削がれます。それを避けるために、大抵のピアニストは、主題のテンポが遅くても、以降の変奏のテンポを速目に変更します。すると、聴き手は【違和感】を拭えなくなります。

小山さんの設定した速目のテンポで、アリエッタの静謐な美しさは失われるどころか、新たな輝きを放ちます。そして、音符が細分化されて徐々に高揚していく、その後の変奏を全く違和感なく、ベートーヴェンの真の想いを味わい尽くすことができるのです!

そうです、小山さんは、ベートーヴェンの32番においても、演奏史を塗り替えられたのです!小山さんの32番(30番、31番も)の録音が実現することを願う次第です。それは、あまたある同曲のどのCD演奏とも異なるだけでなく、ベートーヴェンの真実を伝える人類の至宝になることが約束されているからです。

アンコール公演で同曲を聴かせていただく日が待ち遠しい限りです。

■最後に再びモーツアルトの言葉を・・・
【初見で楽譜を読むという技術とはどんなことでしょうか?作品をあるべき正しいテンポで演奏することにほかなりません。すべての音符、前打音その他を、書かれてある通りの適切な表情と味わいをもって表現し、それを作曲した人自身が弾いているかのように思わせることです。(前掲同p113)】

これもモーツアルトが父親のレオポルトに宛てた手紙の中の一文です。正しいテンポの重要性の指摘に続く文章は、まるで小山さんのことを語っているかのようですね。

そうです、小山さんは、どの作品においても、大作曲家が弾いているかのように演奏なさる、最高の音楽家でいらっしゃるのです。

違和感のない【自然の極致】である小山さんの演奏・・・それは演奏という尊い行為を終えた時点で、【絶対的価値】への変容を遂げます。【絶対的価値】の創造を成し遂げた小山さんに敬意を表するかのごとく、小山さんの横には来臨してきたバッハ、モーツアルト、ベートーヴェン・・・大作曲家の満足した表情が映し出されるのです。

とさま
Date: 2018/05/07/22:07:38 No.4848


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小山さんのショパン第1番@テアトロ・ジーリオ・ショウワ
ぴあのふぉるて
連休の中日、5月2日(小山さんのお誕生日前日!)、
「アルテリッカしんゆり2018」のコンサートに小山さんがソリストとして出演なさいました。
小山さんの演奏を拝聴するのは、3/11の広上淳一さん×日本フィル「特別演奏会」(@東京オペラシティコンサートホール)以来、7週間半ぶりです。
この日は梅田俊明さんと東京交響楽団とのご共演、会場は昭和音楽大学テアトロ・ジーリオ・ショウワ。
曲目は同じショパンのピアノ協奏曲第1番ですが、かなり違って聴こえて不思議だなぁ、面白いなぁ…と思いました。

小山さんは淡い青緑系の柄物のドレスをまとい、軽やかに登場なさいました。
(小山さんのドレスの色、予想的中で嬉しかった。「ほんとだね」と夫も驚いていました)

音響効果のためでしょうか、ステージ後方にはオーケストラを囲むように白いパネルが設置されています。
オーケストラの皆さんは誠実な演奏をしていたと思いますが、滑らかな音色というよりは、例えば、素朴な12色クレパス。頑強な備前焼。生真面目な楷書、のような印象でした。
実直な音色は、でも指揮者の趣向だったのかもしれません。
プログラム後半の交響曲第3番「英雄」や、一昨年2016年8月の第5番「運命」の素晴らしい演奏からお見受けするに、
マエストロ梅田さんはベートーヴェンがお好きでお得意のようです。

一方、ソリストの小山さんはキラキラワクワク、豊かな色彩と躍動感にあふれた素晴らしい奏楽でした。
例えるなら、繊細な100色の色鉛筆。純度の高いクリスタルグラス。気品漂う流麗な行書。
とりわけピアニッシモのとろけるような美しさが心にしみました。

音楽作りや音響的に、もしかしていろいろと制約があっても、またはひょっとしてピアノが気難しい娘?だったとしても、小山さんはこの日、きっとそういったことは物ともせず演奏なさっていたと思います。
無心にピアノに向かっておられる小山さんの音色は、それゆえいっそう深く心に刻まれました。

アンコール:「ショパンのマズルカ」と優しく客席に向かっておっしゃってから、弾いてくださいました。
ショパンの真髄に迫る名演です。

小山さん本当にどうもありがとうございました。
Date: 2018/05/06/16:12:51 No.4846

Re:小山さんのショパン第1番@テアトロ・ジーリオ・ショウワ
とさま
covariant様(No.4845):covariantさんは、バッハのゴルトベルクをお好きなのですね。小山さんのゴルトベルクを聴いて、バッハに開眼したファンも多いと聞きます。それほど小山さんのバッハ演奏は素晴らしいんだと思います。大阪いずみホールでそのような音楽体験をcovariantさんはなさったのですね。

そして次はベートーヴェンですね。小山さん奏するベートーヴェンは次元を超えたレベルの高みに達していて、本当に素晴らしいですね。

アンコール公演で、ご一緒できるのを楽しみにしています。


ぴあのふぉるて様(No.4846):「アルテリッカしんゆり2018」のコンサートの温かい心を感じさせる素敵なご投稿を有難うございます。同じ作品でも、異なって聴こえてくるのは、興味深いですね。

【例えるなら、繊細な100色の色鉛筆。純度の高いクリスタルグラス。気品漂う流麗な行書。】(ぴあのふぉるてさん)・・・本当に小山さんの演奏の特質を見事に表現されていますね。もしかしていろいろと制約があっても・・というお言葉にハッとしますが、ぴあのふぉるてさんは【無心にピアノに向かっておられる小山さんの音色は、それゆえいっそう深く心に刻まれました。】と続けられ、何て素晴らしい音楽の聴き方をされているのだろう、と感動しています。

これからも小山さんの素晴らしい演奏をご一緒に聴かせていただければ幸いです。有難うございました。

とさま
Date: 2018/05/07/01:43:36 No.4847


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お誕生日のお祝いを申し上げます。
covariant
小山実稚恵さま、5月3日にはお誕生日おめでとうございました。翌日のご挨拶となってしまい、失礼をお許しください。

私は齢70にして漸く、自分という存在の不思議に、いろいろと思いを巡らせる機会を多く持てるようになり、その意味ではお陰様で充実した生活を過ごせております。
私の最近のトピックの一つは、この6日に、あるご縁をいただいて、能登七尾美術館に「長谷川等伯展」とそれに協賛したある催しの見聞に行く予定です。七尾は、等伯の出身地です。
私は、等伯の国宝「松林図屏風」の前に佇めば、感動で身体・情動機能に支障を来たすような質(タチ)の人種ですので、とても楽しみにしています。
思えば2年半前に、大阪いずみホールにて小山さんのゴールトベルク変奏曲に、これまた極端に身体・情動機能の支障を来たした(^^; ことを忘れない訳はありません。

そのような自分という存在を見極めることが、この宇宙とそこに生かされているヒトの存在を見極めることと同じ、かつ唯一の作業である、と思っております。私得意の言い方では、素粒子を研究するミクロの物理学が、同時にこの大宇宙の原理を解き明かすことになる、というのと同様です。

小山さんの奏でられる音楽を聴くことによってこそ、その自分自身の探究を深める上で大きな示唆を頂けるという確信から、私は小山さんのファンでありたいと願い続けております。
そのように考えるとき、やはり大バッハの曲が一番ふさわしいと思っており、しかしまた、人生の苦悩に共感しそれを乗り超えていくという観点からは、小山さんにこれから展開して頂くベートーヴェン曲、と、とても期待しております。

私にとってのそのような小山さんには、これからも益々お元気でご活躍頂きますように、ファン仲間の皆様と共にお祈り致します。
Date: 2018/05/04/18:28:20 No.4845


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無題
湘南きみこ
小山さんお誕生日おめでとうございます。
今年もたくさんピアノを聞かせてください。
楽しみにしています。
Date: 2018/05/03/22:43:55 No.4844


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お誕生日おめでとうございます!
とさま
小山さんへ

お誕生日おめでとうございます!

音楽を愛する全ての人にとって、5月3日は永遠に輝き続ける大切な日です。人類の至宝のようなピアニスト、音楽家、芸術家でいらっしゃる小山さんのお誕生日なのですから。小山さんが活躍される同じ時代に生きている幸せを噛み締めてます。

これからも多くの人を幸せにしてください。

小山さんが創造される崇高な音楽は天国にいる大作曲家達をも幸せにしていることでしょう。自分の書いた音楽をこんなにも素晴らしく演奏するピアニストが存在することに最初は驚き、歓喜し、そして最後には感謝しているのではないでしょうか!

アンコール公演を楽しみにしています。

とさま
Date: 2018/05/03/00:25:17 No.4841

Re:お誕生日おめでとうございます!
ぴあのふぉるて
小山実稚恵 様
お誕生日おめでとうございます。
新緑が目にしみる季節、木々もいっせいに小山さんを祝福していますね。

とさまさんのお祝いメッセージに大きく頷いております。
今、小山さんと同じ時代に生き、小山さんの生演奏を拝聴できて、私もホントに幸せです。昨日は昭和音大テアトロジーリオで、美しさに激しさが潜んだ繊細なショパンに、感じ入りました。どうもありがとうございました。

小山さんのご健康とご活躍を心よりお祈りいたします。
Date: 2018/05/03/14:42:33 No.4842

Re:お誕生日おめでとうございます!
まじょるか魔女
小山さんへ

お誕生日おめでとうございます(^O^)/
これからバラのいちばん美しい季節になりますね。岐阜県はバラ苗の産地で、次々に開く花々に心躍る毎日です。
小山さんはバラに例えるなら、凛としてすっきりと咲く芳しいバラ。咲き進むにつれて色が変わっていくバラ。どんな土地でも真っ直ぐに伸びていく世界で唯一のバラだと思います。
小山さんのピアノから、どんなに多くの人が前向きに生きる力と幸せをいただいていることでしょうか。
どうぞこれからもお身体大切に、ますますのご活躍をお祈りしております。
アンコール公演、ファン仲間と共に心待ちにしています。
Date: 2018/05/03/19:55:25 No.4843


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皆様の素晴らしいご感想から 〜小山さん賛歌のパレード その1〜
とさま
★小山さんのファンの皆様へ
 昨日は、『いわきアリオス開館10周年記念:小山実稚恵ピアノ・リサイタル〜10年の時を刻んで』に行って参りました。その感動的なリサイタルの模様については、後日ご報告させて下さい。
 本日は、皆様がご投稿なさった素晴らしい最近のご感想の中から、小山さんの演奏の本質や素晴らしさを表現して下さったのではないか、と個人的に拍手喝采しているお言葉をピックアップしてみようと思います。小山さん賛歌のパレードです。

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★オクターヴ練習中様へ(No.4839):再びピアノに向かわれて悲愴ソナタを弾かれたのですね。良かったですね。同じ変イ長調という調性からでしょうか、ベートーヴェンの悲愴ソナタの第2楽章の美しい旋律とその佇まいは、後期の作品110の第1楽章に繋がるように聴こえます。【小山さんは、客席に向かって、まっすぐ、ピアノを響かせていく。】というオクターヴ練習中さんのお言葉の中の【まっすぐ】という表現は、本質的だと思います。私達が、小山さんの演奏に深く感動するのは、小山さんが、一切の恣意性を排除し、作曲家の想いを何の違和感もなく、あるがままに伝えて下さるからです。それは【まっすぐ】ですね。これからも、小山さんの【まっすぐな】音楽をご一緒に聴いて参りましょう。

★キヨ様へ(No.4837):千葉県文化会館での「皇帝」のご投稿を嬉しく拝読しました。私も聴かせていただきました。【一つひとつの音を丁寧に紡ぎつつ、スケールの大きさも感じる素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。】というキヨさんのお言葉に思わず喝采してしまいました。当日のピアノは、まろやかさよりも硬質な質感さが勝り、私にはとても個性的に感じられました。その結果、一つ一つの音が分離して聴こえてきたように感じました。これは、キヨさんが【一つひとつの音を丁寧に紡ぐ】と表現して下さったことだったんだなあ、と我が意を得た想いでした。そうして本当にスケールの大きい演奏で、聴き手を豊かな気持ちにして下さいましたね。【一つひとつの音を丁寧に】といのは、全ての音に魂を込めることですね。有難うございました。

★まじょるか魔女様へ(No.4834):【陽気の中の悲劇】と題する素敵な投稿を有難うございます。テレビ断ちして35年の私にとって小山さんの深いお言葉を紹介して下さって、心踊ります。2000年の小山さんの演奏も番組では紹介されたのですね…【小山さんは内なるマグマを秘めたクリスタルそのものでした。】という魔女さんのお言葉は、小山さんの演奏(今も以前も)の特質をズバリ表していますね。〔潔く〕(ぴあのふぉるてさん)かつ〔ぶれない〕(魔女さん)のも小山さんの演奏の本質だと思います。そうでなければ美しい結晶(クリスタル)は成長せず、欠陥だらけの結晶になってしまいますね。物理学においても、欠陥のない完全な結晶は、熱さを内包して成長し、美しい結晶面を形成します。モーツアルトのK466でも、小山さんの熱い想いが刻々と音楽の結晶を成長させ、様々な美しい結晶面を聴き手に届けて下さった…そういうことだったのですね。

★covariant様へ(No.4835):小山さん奏するモーツアルトのK466を視聴されたのですね。【これモーツアルトの曲?という新鮮さを抱いて聴くことができました。】及び【私の知っている(つもりの)モーツアルトではない、その深さに感じ入りました。】というcovariantさんのお言葉に深く感じ入ります。有名な曲であればあるほど、小山さんの演奏を聴かせていただくと、「一体、私たちはこの曲の何を聴いてきたのだろう、何一つ曲の素晴らしさを味わっていなかった」という言葉を発してしまいます。キヨさんも小山さんの皇帝を聴かれて、そのように感じられたのではないでしょうか。私たちが何故に小山さんの演奏に強く惹かれるのか、その答えはcovariantさんのお言葉なのではないかと思いました。

★実稚恵さまの微笑様へ(No.4833):延岡でご一緒できて幸せでした。屈指の圧倒的な名演に接し、その晩は歓びで眠れなかったです(笑)。【終盤の高揚部は何か高潔なものに気圧されるようなすごいエネルギーを感じました。】…ベートーヴェンのソナタ作品110に対する微笑様のお言葉の中の【高潔さに気圧される】という表現も小山さんの演奏の本質だと思います。【高潔さ】は小山さんの演奏での通奏低音だと思います。かつて【高潔さ】を感じさせる演奏というのは、小山さんの演奏以外では、本当に数えるほどしか接したことがありません。それだけ稀有なこと故、【高潔さに気圧される】のでしょうね。その【すごいエネルギー】は最後には、欠陥のない美しい【クリスタル】(魔女さん)に結実するのですね。小山さんほど、聴衆の涙腺を緩めるピアニストは存在しないでしょう。私も小山さんの高潔さに圧倒されて、拍手もできずに涙を流しながら、感謝していました。

★まじょるか魔女様へ(No.4832):【圧倒的な自己肯定と開かれた未来】(魔女さん)を感じさせて下さるのも小山さんですね。どれだけ多くの聴衆が小山さんからエネルギーを頂戴していることでしょうか!昨日の小山さんのいわき公演で、福島在住の女性といわき駅までの道中ご一緒させていただき、小山さんの演奏を聴きに、東京・仙台に足を延ばす、そうするとエネルギーがいただけて頑張れると仰っていました。【「もっとも崇高な芸術とは人を幸せにすることだ。」(映画「グレイテスト・ショーマン」のT.バーナムの言葉)】(魔女さん)…小山さんのことですね。ベートーヴェンも『多くの人々に幸せや喜びを与えること以上に、崇高で素晴らしいものはない。』と類似のことを言っていますね。喜びや幸せを与えることができるのは、卓越した奏者による至高の音楽芸術なんですね。そして、それを実現されている小山さんは人類の宝ですね。

★ぴあのふぉるて様へ(No.4830):被災者故でしょうか、7年経った今でも、3.11前後は体調に変調をきたします。小山さんは、3.11前後に必ず何らかの公演を企画して下さいます。ぴあのふぉるてさんのご報告を拝読しながら、涙を抑えることができませんでした。特別な日であったこともあり、【鎮魂の祈りに満ちて、心に沁み入る名演】とぴあのふぉるてさん書いて下さったように、【祈り】は大きな要素でした。しかし、同時に小山さんはどんな作品に対しても、ぴあのふぉるてさんが【小山さんはいつも思いを込めて演奏なさいます】と書いて下さったように、この作品において、祈りは想いの結実だったのでしょう。第3楽章の【さぁ、希望を抱いて歩み続けましょう!】(ぴあのふぉるてさん)という表現は、読むだけで元気が出て、ワクワクします。まじょるか魔女さんの【圧倒的な自己肯定と開かれた未来】というお言葉とシンクロナイズします。

短調の作品が長調で終わるのはいいですね。私もそういう作品が大好きです。ピアノ協奏曲で言えば、モーツアルトの20番(K466)、ベートーヴェンの第3番、ショパンの第1番と第2番、ブラームスの第1番、ラフマニノフの第2番と第3番、チャイコフスキーの第1番など、小山さんが演奏されると、全く別の曲として生まれ変わりますね…covariantさんが仰るように、【新鮮な曲】に変容し、まじょるか魔女さんが仰る【肯定感】が前面に出てきて、そしてぴあのふぉるてさんが仰るように聴き手の心は【希望】に満たされますね。有難うございました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
★★小山さんへ:小山さんのファンの皆様の素敵なお言葉の数々を拝読すると嬉しくなります。どのお言葉も小山さんの演奏の本質と素晴らしさを表現していますね。天国に居るベートーヴェンは『多くの人々に幸せや喜びを与えること以上に、崇高で素晴らしいものはない。』と仰っています。この言葉は、それを実現なさっている小山さんに向けられた賞賛の言葉だと思います。

とさま
Date: 2018/04/15/13:41:24 No.4840


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ピアノを弾くモチベーションはひとつ
オクターヴ練習中
ピアノを弾き始める


ようやく、ピアノを弾き始めることが出来た。
そう言ってもいいように思えてきました。
おぼつかない手付きで。
ピアノを弾くモチベーション。
やっと見つかった。
人の数、否、一人のピアニストが複数のモチベーションを持つかもしれない。
そうなると、
モチベーションの数は無限になってしまう。
けれど、
行き着く先はひとつになる。
ピアノを弾くための、モチベーション、と、その、ヒエラルキー。
見つけることは容易くなかった。自分には。
けれど、
その頂きを見つけた時から、ピアノを弾き始めたと言うことが出来るように思えた。
長い間、
色々なヒエラルキーのことを考えていた。
けれど、
その答えが見つからなかった。
ただ、ただ、迷うだけ。
もしピアノに出会わなければ、生涯、ずっと、すべてのことに、迷い続けていたのかもしれない。
そう思えなくもない自分の過去。
ピアノを弾くための、モチベーション、と、その、ヒエラルキー。
これが見つかってから、様々なヒエラルキーの姿が見えてきた、そんな風にも思えてしまう。


ピアノという名の病を患って


いつからかピアノを弾いていた。
その経緯。
あっという間にピアノが弾けてしまう、そう思わせるような紛らわしいタイトルの本を買ってしまった。
その本に絆されて、
ピアノを弾いていった。
ピアノに調律が必要な状態になった。
ピアノ屋さんに調律をお願いする。
自宅のピアノを斉える調律師。
プロの演奏会があることを伝えてくれた。
観るのも一考かもしれない、
そんな風に勧めてくれた。
プロの演奏会なんて敷居が高くて行けない、
そう感じていた。
しばらく悩んでいた。
演奏会の金額が目に入る。
出費が可能な金額だった。
行ってみることにした。
ピアノコンサートに行くことなんて考えてもみなかった。
演奏会を見に行った。
ドキドキしながら。
グランドピアノ。
響板のむくり。
ここから、時間差で、響いてくるharmonyが聴こえてきた。
全身が、時間差で、響く調べを知った。
このときから、治ることを知らない、ピアノという名の病が始まってしまった。
具合の悪い自分の身体。
握力、背筋力が、極端に弱かった。
医者からは顎関節症と言われた。
全身に違和感があった。
全ての筋力が足りていなかったのかもしれない。
得体の知れない痛み、違和感。
ずっと悩まされていた。
それが、不思議と、ピアノを弾くと、身体中の違和感の和らいだ。
身体中の違和感が和らぐから、止めることが出来なかった。
毎日弾いた。
けれど、
なかなか弾けるようにはならなかった。
初めて弾けたと思った時に、やらないほうが良かったと、心の底から心底思った。
ピアノのための、膨大な時間、体力の労費、を知った。
それでも弾いた。止めなかった。止めることが出来なかった。それしかなかった。


家族、氾濫する情報


両親から、自分に向けられた言動、自分以外に向けられていく言動、
そして、
沢山の媒体から飛び交う、沢山の情報、沢山の出来事。
全く理解出来なかった。
少しだけ分かってきたと思えるまでには、随分、長い、時間が掛かかってしまった。
ピアノに向き合って、分かってきたような気がする。


ピアノを弾くにあたって必要なもの


楽譜に書いてあることを読むための知識。
楽譜に書いてあること以外のことを読むための知識。
行間を読む。
そういうことになるかもしれない。
譜読。
行間を読めなければ、楽譜が読めない、臨時記号の嵐などに混乱していく。
行間。
音階、和音、和声、時間...。
この理解への壁は高い。
この理解への壁を越えるために非常に多くのものが必要。時間、体力、他にも...。
今の自分、弾ける作品など僅か、とても弾けると言うに非ず、烏滸がましくて、恥ずかしいけど。


ベートーベン ピアノソナタ 第8番


ある時からベートベンのピアノソナタに向かった。
ベートーベン ピアノソナタ 第8番 第2楽章
これさえ弾くことが出来たなら、もうピアノから離れてもいい、そう思っていた。
貯金が底を付きそうになったから。
そんな気持ちで、ベートーベン ピアノソナタ 第8番 第2楽章 に向き合う。
なんとか弾けた。
もうピアノから離れて構わない。
そう思っていた。
けれど、試しに、
そして、最後に、
第1楽章と、第3楽章を、弾いてみる。
右手と左手を別々に、それを2回ほど繰り返す。
そして、その後、両手で弾いた、2回ほど。
翌日。
もしかしてという気持ちがあった。
右手、左手、別々に、2回弾いた後で、また両手で弾いていく。
気が付けば、このソナタ、毎日、弾くようになっていた。
毎日弾いても、覚えられない、難しい、そう感じていた。
第1楽章、スケール上昇、和声進行、ド、レ、ミ、ファ。
これが理解出来た時、何となく解かったような、そんな気持ちになっていった。
このソナタを、自宅のピアノで弾くことがあります。打鍵ミスをしながらですが。
また、時々ですが、自宅以外のピアノを弾くことがあります。
それは公共の場所。
誰でも、30分だけ、自由に弾くことが許される、そんなピアノ。
無関係な人がいて弾けてピアノ弾き。
そんな訳で、そのピアノを弾くことがあります。
今の、自分に、弾ける、ピアノは、そこしかありません。


長かった全てに無理解の時間


ここまで長かった。
本当に辛かった。
何もかも、全く、理解出来ずに、ただ流されていくだけ、ただ時間が消えゆくだけの、過去だった。
すべての理由が分からずに。
けれど今は分かる。
すべてとは言えないけれども。
表層に記されている文字以外の、どこにも記されていない隠されている文字のことが。


” 小山実稚恵さん ” にだけ伝えることが出来た真実


もう、いない、両親。
愛のない結婚生活だったのかもしれない。
もし、両親が生きていれば、それを否定をするでしょう。
もしかすると、すべての人が、否定をするかもしれません。
当たり前かもしれない。
でも、そのことが分かるから、痛いくらいに、そのことが分かるから、
顔を隠して、
姿を隠して、
語るしかなかった、
誰にも打ち明けられなかった、
誰一人として信じられなかった。
そして、なんという残酷さなのだろう。
子供が、両親に、結婚生活に、愛がないと宣言するのだから。
こんなことを、顔を出して、実名で、言える訳がない。
惨めすぎるから、
悲しすぎるから、
ずっと黙っているしかなかった、
ずっと隠れているしかなかった、
胸内すべて押し殺し、死人のように生きるしかなかった、
愛に迷い続けるしかなかった、
けれど、それが、真実。


素晴らしき愛の芸術家との出逢い


愛に迷い続ける中で、愛を表現する芸術家に出逢いました。
究極愛の。
それ以上はおそらく、死を意味してしまうであろう程の、究極の愛。
モーツァルトが絶え間なく流れている。
そう表現すれば理解してもらえるかもしれない。
とても、美しく、人間らしく、安らいだ場所。
この芸術に出逢って、
人は、
皆が、兄妹であり、皆が、愛を欲していて、皆が、同じであり、異質など、一つもない、
そう思えました。
まあ、各人に、好みと言われるものがある、ということが、大前提ではありますが。


愛の理解の上に


両親のこと、自分のこと、愛について、理解出来たことで、
人は決して完全でなく、どこか足りなくて、だから可愛くて、そして、どうしようもないのかもしれない、
そんな風に思えてきました。
愛のない人は、いずれお金しか、愛せなくなってしまう。
だからこそ、愛が最上であり、愛こそがすべて、ということなのだろうと思います。
いまの自分は一人暮らし。
かつて一緒に暮らした家族があった。
両親に妹弟、自分、家族皆、お金しか愛せない人だったように思えてくる。
愛のない両親、もしくは、受胎の為だけに、愛に及ぶ両親。
その下の子供。
そんな家族。
子供に生殖能力のない間は、平穏で安らか。
けれど、子供が生殖能力を宿した時から、憎しみの連鎖が始まっていく。
家族の笑顔が消え、家族の皆が苛立ち、愛のない家族に疲れ果てた時、
妹は行方を晦まし、父親は自ら命を絶った。
残った家族。
愛のない日々。
目を据わらせ、虚ろな表情を浮かべ、お金しか愛せない人の恐怖に怯える。


願望


真実を伝えたい、
真実を伝えることが出来たなら、
どんなに気持ちが晴れるだろう、
どんなに気持ちが楽になるだろう、
自分が怯えた恐怖を伝えたい、
愛なき人の残酷な姿をそのまま伝えたい、
そんな気持ちが胸にある。
けれど、それは出来ない、親を憎み切れない、憎み切った心の時に、サイコパスになっていく。
苦しくても、疲れ切っていても、愛のない暮らしの中で、
食事を用意し、病院へ連れて行き、様々な面倒を看てくれた。
愛のない生活に、永遠の限界を感じても、親の責任という重い鎖を引き摺って、面倒を看てくれた。
そのことが解かるから、言いようのない辛さの中で、生活していたことが、痛いほど解かるから、
お金しか愛せなくなった家族に対しても、憎み切るなんて出来ない。
でも、そう、自分の家族は、そんな家族だった。
愛を欲して行方を晦ました妹。もう年齢的に衝動を抑え切れなかったのだろう。
ほどなく、安否と、所在が、分かると、父親が尋ねたらしい、「 幸せなのか 」 と。
そのころの父親は憔悴しきっていた。
会社では居場所が無くなっていたらしい。
家族全員から相手にされなくなっていた。
もともと悪かった身体の具合もどんどん悪くなっていた。
心身共に弱り、家族の愛に見放された父、その後、しばらくして、自ら、命を絶った。
こんなことは言えない。
自分はとても言えない。
すべての人に誇りと自尊心があるから。
言う方も、言われる方も、惨めになるから、悲しすぎるから。


自分と家族


何時の頃からか、は、分からなくなってしまった。
自分が家族と全く会話をしなくなった時のことが。
言葉は交わす、けれど、会話ではない、もう何十年という期間になる。
おそらく、それは、家族全員が生殖能力を持ったときから。
家族の中で飛び交ったのは、命令もしくは依頼の伝達、怒りの感情だけだった。
それが今でも続いている。
方便ひとつ許さない家族だった。
方便というものが解からなかったのかもしれない。
方便に怒り狂う家族だった。
妹と弟。
自分はこの二人を多少恨んでいる。
愛のない両親の、悪意のない、善意の攻撃は、どうしても自分が標的になる。
妹と弟は盾となる自分の影に隠れることが多い。
盾となる自分の影で話すことも多かったらしい。
そうしなければ攻撃は自らに及んでしまう。
偏に、他人の傷は痛くはない、そういうことになる。そうでないことは分かっているけれども。
他にも積もる処がいくつかある。
けれど、この妹と弟の、二人に対して、何か攻撃や復讐をするつもりはない。
そんな気持ちが出て来ない。
なぜだろう。掛け替えの無い妹と弟?きっとそういうことになるのだろう。
苦しんでいる自分をただ見ていただけの二人なのに。もちろんそうでないことも分かっているけど。
ただ、どうしても、二人に対して、何処かに、憎しみの感情が出て来てしまう。
憎しみというか、悲しみというか、入り混じった感情というのが合っている。
この入り混じった感情は、血族全員に対して持っている。一人の血族を除いて。
自分が一番苦しんだ時に、「お前が悪い」と言い放ち、元凶に対して全くの無対処だった血族。
愛のない両親の兄弟姉妹も、また、愛がないのかもしれない。
愛のない血族の集まりは、見事なほどに惨めに見えた。
今となっては、その風景も、見慣れたものになってしまった。
一人だけ、血族の中で、苦しい自分に対し、手を差し伸べてきた人がいました。
直近の過去において、何か相当なことがあったようです。詳しい理由は語りませんでした。
ただ、自分の顔を観て、表情を察して、救いの手を差し伸べてくれたようでした。
その人以外の、血族に対しては、憎しみの感情が、勝ってしまう。
苦しい時に、岩にしがみつく手を、足で踏まれていた、そんな風に感じています。
妹と弟、その他の血族、
絶縁ということはないけれど、顔を合わせることがない。
顔を合わせないということはないけれど、顔を合わせていない。
極々たまの、連絡事項があるときは、
通信機器を使って、文字伝達をする、そして集まる自分の血族。
そんなことが続いています。
血族との疎遠。
半分は自分のせい。
そのことは分かるけれども。
自分を恨むしかない。
時代を恨むしかない。


両親の名誉のために


愛のない結婚生活で一番辛いのは夫婦本人。
夫婦の時代考察が必要。
愛についての理解も必要。
愛、人の本能、意思と精神ではどうすることも出来ない衝動と肉体的構造。
それゆえ、人は、その生涯に、愛を欲してしまう。
もし、両親に、愛の理解が、あったならば、すべてを許せていたかもしれないのに。
でも、おそらく、このことに、全くの善意だった。
自分もその一人。
すべてを恨んだ。
すべてを憎んだ。
悪意を。
傍観を。
そして時代を。
けれども、それは、すぐに分かった。
無駄なことだと。
無意味なことだと。
悪意という名の巨大な象に向かっていく、善意という名の小さな蟻一匹に過ぎないと。
巨大な象の一踏によって、厚みのない存在になってしまう程の、小さな蟻でしかないことを。


しあわせになるために


幸せにになるためには他人を幸せにするしかない。
そんなことが解からない家族だったのかもしれない。
父も、母も、自分も、妹も、弟も。嘗ていた自分の家族全員。
両親。
神に祈るしかない両親だった。
神について全く理解出来ない両親だったのかもしれない。
何も解からないままに、分からないものに縋り、わからないままにその生涯を終えた。
そんな生涯の両親だったように思えてしまう。
恨んだ。
憎んだ。
神を。
神と、信仰と、愛を。
何もかもが、分からないままに、すべてを恨んでいった。
悲しみと憎しみの独り言が絶えず出ていた。
とても人に聴かせられるものではない。
そんな日々が続いてた。
最近、ようやく、悲しみと憎しみの独り言が出て来なくなってきた。
そして、
自分には分かる。
今は分かる。
神が。
神と、信仰と、愛が。
そして、誰もが、黙して、決して語らない理由も。


自分


本当に長い間、愛のない生活を送ってしまった。このことを告白するのは辛い。
けれども、” 小山実稚恵さん ” にだから伝えることが出来た、と、そう思えてしまう。
コンサートホールへ、足を運び、着座する来場者、檀上で調べを奏でる ” 小山実稚恵さん ”
” 小山実稚恵さん ” は、客席に向かって、まっすぐ、ピアノを響かせていく。
ピアノの調べを、作曲家の想いを、” 小山実稚恵さん ” 自身を、表現し、奏で続ける。
ピアノの調べだけで出来る可能性をずっと探していたピアニストなのかもしれない。
今はそのことが解かる、だから、すべての、本当の気持ちを、吐露することが出来た。


ペダル


” 小山実稚恵さん ” の 『 音の旅 』 の公演に、必ず行くようになったきっかけの一つ。
まだ、自分が、” 小山実稚恵さん ” の演奏会に、2回目か3回目に顔を出した頃。
『 音の旅 』 公演だったように思います。
” 小山実稚恵さん ” のペダリングに、強烈な衝撃を受けたことを覚えています。
ペダリングに強烈な衝撃を覚えたのは2公演ほど。その後の公演では違うものになっていった。
この出来事は、人が変化していくことを、自然に受け留めるように、教えてくれました。
人というものは、変化を続ける、変化を続ける姿こそが、何よりも美しい。
今になって、より強く、そのことが、想い起こされていく。
時には、取り繕うことも必要で、正直が全て佳しではない、そう思ってはいますが。
生きている、それは、人が、生命が、絶えず変化を続けること、変化の終焉は死を意味する。
” 小山実稚恵さん ” の 『 音の旅 』 公演で、そんなことも感じました。


今の心境に至った経緯


” 小山実稚恵さん ” の 『 音の旅 』 公演に、毎回テーマがありました。
僕は、公演の度に、テーマについて、ぼんやりと、無い頭を、グルグルと、廻していった。
テーマ、色、込めた想い、” 小山実稚恵さん ” の ピアノの調べ、それが自分を変えていった。
テーマに思いを巡らせ、本物を聴き、全身を震わせる時間。
それが頑なに硬く閉じていた自分の心の殻を少しずつ壊していった。


その中で見つけたこと、宿命と運命


宿命とは血族。
運命とは他人。
僕と ” 小山実稚恵さん ” の運命。
それは、
とても可愛らしい神様の悪戯。
八百万の神様の中の、
とてもお茶目な神様が、
後悔しか持てない自分に仕掛けた、
とても可愛いらしい悪気のない悪戯。
そんな風に考えるのが丁度いいのかもしれない。
そう思っています。
そして、
今の自分。
後悔しかない。
けれど、
未練はない。
なぜなら、
変更が可能なのは未来だけ。
未来の変更は、
今、という連続していく時間の、絶えることない努力でしか成し得ない。
そう思うのです。
ピアノに出逢い、” 小山実稚恵さん ” に出逢ったことで、そのことが解った。
長く、長く、本当に辛く長い、時間が掛かってしまった。
愛という名の正体が理解出来るまでに。
けれど、
愛という名の正体を、生涯理解出来ないままに、終えてしまう人もたくさんいるのかもしれない。
愛という名のヒエラルキー。
その2つ目。
それは、どうしても、抑えることが出来ない、衝動、我儘。
ようやく夜が明けた訳です。


そして


僕が ” 小山実稚恵さん ” の 『 音の旅 』 を見続けたもうひとつの理由。
ある時から感じたこと。
” 小山実稚恵さん ” の、『 音の旅 』 は年2回、
” 小山実稚恵さん ” と、半年に1度の再会、
” 小山実稚恵さん ” が、再会する度に、綺麗になっていく、それが不思議だった。
人、皆、成長し、老化する。
およそ二十歳で、成長から老化へと、変化していく。
そんな既成の概念を、
” 小山実稚恵さん ” の 『 音の旅 』 が、毎回変化させてしまう。
人がずっと綺麗になっていくことを眼前していく。
なぜなのだろう、ということを、毎回のように考えていく。
不思議でしょうがなかった。
なかなか答えが見つからなかった。
けれど、今は、解かる、そして、そんな風に生きてみたいと思う訳です。
Date: 2018/04/13/23:22:53 No.4839


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千葉県文化会館での「皇帝」
キヨ
昨日4月7日、千葉県文化会館で行われました千葉銀行創立75周年記念コンサートに行ってきました。
ファンの仲間の皆様、行かれた方はいらっしゃいますか?
抽選での招待ということで、県外のため落選かと思っていましたが、当選したのでラッキーでした。

三ツ橋敬子さんの指揮、東京フィルハーモニー交響楽団と共演者も素晴らしく、もちろん小山さんのピアノによるベートーヴェンの皇帝を含め、素晴らしい演奏でした。

お祝いのコンサートということもあってか、小山さんは真っ赤なドレスで、皇帝を今日も一つひとつの音を丁寧に紡ぎつつ、スケールの大きさも感じる素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。
女性指揮者の三ツ橋敬子さんも小山さんにピタッと付け、東フィルも一糸乱れぬ演奏で名曲を名曲として聴かせてくれました。

冒頭の五木田岳彦氏の委嘱作品「葉の調べ」The Sonority of Leaves(初演)は、はっきりしたリズム感で進行していくところが好きでした。
後半のモーツァルト交響曲第41番「ジュピター」もしっかりした演奏で、すべてに聴き応えがありました。

終演後のサイン会では、小山さんはこの日も一人ひとりのお客さんと丁寧に言葉を交わされていました。
小山さん、今回もありがとうございました。
Date: 2018/04/08/15:31:57 No.4837


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